主婦のつぶやき

アラサー無職ということ

私は子育て中の専業主婦である。

時々在宅でバイトをしているくらいだが、それでも年に30万程度の収入しかない。

大学は旧帝大を出て、その後はバリバリ働いていた。友人たちは子供を産み、そのまま仕事を続けている人が多い。

私が家で掃除機をかけているとき、夜ご飯の支度をしているとき、ふと思う。

「この時間、みんな外で働いてお金を稼いでいるのに、私は何にも稼いでいない。今しているこの仕事も、働いているママたちは他の時間でこなしていることなんだ。そして、みんなはお金を稼ぐだけではなくて、何かを生み出したり誰かの役に立ったりしている。私だってもちろん家族の役には立っているのに、それだけで構わないのだろうか。夫の収入だって多くはないし、子供たちの将来のことを考えたら貯蓄を増やすために動いた方がいいのに。」

 

社会から取り残されていくのだという不安と疎外感に苛まれる。

それでも社会復帰する気にはなれない。

 

問題は子育ての負担が大きいことだ。

 

 

話が大きくなるが、人間の一番の役割は子孫を残すことである。

これは人間に限った話ではなく、犬や虫そして花などすべての生き物にとっての使命である。

人間は虫や魚のようにたくさんの命を生み出すことはできない。最近話題になっているが、日本の最新の出生率は1.26であり、女性は一生のうちに1人~2人産むのが平均的だろう。2人の人間が協力して1~2人しか生み育てていないのである。(もちろんそれ以上に育てている素敵な方もいる。)子供とはなんて貴重な存在なんだろう。

 

その子供を健やかに育てることが今の私にとって一番大切なことなのである。

その子供が大きくなって次の世代へ命をつなげていくことこそが「生きる」ということであり、国力を増強させることにつながっていくのだ。

 

しかしながら我が家は核家族であり、周りに頼れる親族もいない。夫は朝早く出て子供が寝てから帰宅するのが当たり前。子供は風邪をもらってきては治り、そしてまた風邪をもらい…という負のスパイラルに陥っている。そして私は自身のキャパが狭く、いろんなことを要領よくこなすことができない。

このような現状では、仕事と育児と家事のタスクをこなしつつ、自分の感情をコントロールして穏やかな家庭を気づいていくことは不可能だと感じるのだ。

 

ただ、子供を育てるのにはお金がかかる。

生きているだけで食費や光熱費水道代など様々な支出がでてきてしまうわけだ。老人や専業主婦には扶養控除があるのにもかかわらず、子供にはない。だから児童手当があるじゃないかと言われるだろうが、その手当は沢山稼ぐと制限されてしまう手当なのだ。

どうして子供だけ控除が与えられず、その代わりであるはずの手当まで制限されるのか?

 

子供を保育園に入れて働くのならば保育費もかかる。保育園代が高いからパートで働いても結構持っていかれちゃって手元には数万円しか残らないんだよね~なんて話も耳にする。それならば時短ではなくがっつり働こう、ということになれば今度は自分の体力や時間に余裕がない。そして疲れてしまって子供に優しくできないのだ。

 

人間が生活していくうえで必要なのはゆとりだろう。

今働いていない現状であり、将来金銭的にゆとりがなくなってしまうかもしれないが、今はゆとりある時間を大切にして子供と過ごしたい。

そう思って無職で過ごしているが、社会から取り残されていく不安や、何か外に出て仕事をしたいという気持ちが消えない。

 

家事と仕事とそれから育児、さぁどうしようか。